Essays No. 4
言葉は国境を越える
by 山口竜太
西日本医学英語勉強会の皆様
初めまして!
私は神戸学院大学薬学部薬学科6年生の山口竜太と申します。
この度、Relay Essay No.4 を担当させていただくことになりました。
西日本医学英語勉強会には未だ参加を果たせておりませんが、私が英語を学ぶ想いについて、少しお話しさせていただけたらと思います。
英語勉強歴は一般的な日本人とほぼ同じで、中学から授業にて開始し、大学入試でそのピークを迎えます。
大学入学後は一応講義に英語がありましたが、あまり熱を入れず、どんどん英語から離れて行きました。
そんな私の一つの転機となったのが、大学2年次に参加しました「アメリカ薬学研修」でした。
私の通う神戸学院大学は、世界に幾つかの提携校を持ち、薬学教育を学びにアメリカに行く機会があります。
この研修で非常に稀有な経験をしました。
少し長くなりますが、本日はこの時のことについてお話しさせていただきます。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
アメリカ薬学研修参加へ申し込みを行ったもの、私の大学での成績は思わしくなく、不採用になると思っていました。
しかし、何故か合格を得ました。
面接での英語も、薬学研修に対する想いも対して高くなかったのに不思議です。(真相は男子生徒の人数が少なかったからかなと思っています笑)
渡米のチャンスを得て喜ぶ私ですが、大変なのはそれからでした。
『ザ・日本式英語教育!』を受けてきた『ザ・ゆとり世代!』の私はまったく英語が話せませんでした。
中高の英語の成績は良かったです。
文法なんてたった基本5通りしかないですし、単語もせいぜい数百程度。リスニング試験なんて、問題意図と問題文さえ理解すれば、聞いてなくても解けるレベル。
コツさえつかめば良いだけだったので、テストの点数は簡単に取れました。
そんな風に英語に取り組んでいたので、もうまったく話せない。
何より困ったのは、「聞き取れない」ということです。
文法は理解できているので、文章は作れます。発音はアレですが、相手が頑張って理解してくれます。
しかし、相手の言っている意味が全然わからない。
これには困りました。
特に困ったのは授業です。
私はアメリカのピッツバーグにある大学に通っていたのですが、専門語が多く、また話すスピードも速いので本当に大変でした。
わからない言葉はカタカナで書き取って、放課後に辞書で話に合う単語を調べるという作業の繰り返しでした。
授業の後は医療施設や研究施設へ赴き、現地の医療や科学を学ぶ。これも全て英語。
私にとってとてもハードな日々でした。
そんな生活もそろそろ終わりというころ、僕の世界観を変える出来事が起きました。
2011年3月11日 東日本大震災 発生
ホームステイをしていた僕は、ホストファーザーに『日本で地震があった』と言われ朝を迎えた。
『地震』という言葉にそれほど珍しさもなく、「またか」程度の気持ちでベッドが出て大学へ行く準備をした。
朝食を食べにリビングへ行きテレビを見たとき、そこには僕の知らない映像が映っていた。
大きな土気色の水の壁が街を飲み込む。
海?街?あれは山なのか?
一面を水で囲まれながら燃える火。
一体全体なにがあったのか?
『TSUNAMI』
この言葉がテレビ画面を覆っていた。
幸いにして僕の家族は関西におり、皆無事だった。
その知らせがメールで届いていた為、パニックにはならずに済んだ。
しかし、それでも現状を理解することは出来なかった。
アメリカのニュースキャスターは何やら深刻な顔で話しているが、ほとんど何も聞き取れない。
情報が欲しい。
今のようにスマフォが一般化する少し前だったため、僕も所謂ガラケーしかなく、情報を得る手段がなかった。
何が起きているのか十分に理解できないまま、その日は始まった。
日本で大災害が起きたからといって、大学の講義がなくなるわけではない。
この日は大学最終日で、講義、病院見学そして Party などがあった。
いつも通りホストファーザーの車で大学へ行き、講義室へ行くその途中に、私の人生を変える場面があった。
「Are you Japanese ? Your family is OK ?」
大学内のエレベーターで一人の白人男性に話しかけられた。
「Yes..?」と答えるとその男性は僕の方を向いて、
「お前の家族は大丈夫か?無事なのか?お前の家族と日本の為に祈っている。」と言った。
正確になんと言ったかはわからない。
残念だけど聞き取ることが出来なかった。
それでもわかったことがある。
「この人は日本のことを案じてくれている。頑張れと励ましてくれている。」
言葉はわからないが、確かにそう言ったという自信がある。
別れ際には固く握手を交わし、
「Good luck」か「God bless you」かわからないが、
確かに「頑張れ」と声をかけてくれた。
この稀有な体験はこの一度だけではなかった。
たまたま訪れたカフェの店員が、僕が日本人だとわかると、エレベーターの男性のように「頑張れ」と声をかけてくれた。
かなり訛りの強そうな英語で、男性のときよりも聞き取りづらかったけど、やはり何を言っているかはわかった。
この数度にわたるやりとりは、明らかに私の人生を変えた。
この経験を通じて私に一つの想いが芽生えました。
『世界を良くしたい。』
アメリカという日本から遠く離れた国で出会った相手を思いやるという気持ちに出会い、世界は繋がっているのだとわかった。
日本人であっても、僕であっても、世界に繋がっている。
世界ともっと繋がりたい。もっと良くしたい。
このように思うようになりました。
研修から帰国後、私はこの想いを実現する為に様々な取り組みを始めました。
国際団体加盟している薬学生団体に所属し、関西の代表として、交換留学の文化を広めることに従事。(医療施設見学通訳も経験)
医療における繋がりの希薄さを是正するために、医療人交流会の創設。
医療教育の問題を解決するために学生向け学習団体の創設。
医療業界外のあらゆる分野からの健康アプローチをすることを考えるサミット開催、また社団法人の設立。
日本中の医療系学生を1000人集め、繋がりを創造する全国規模の全医療系学生文化祭の開催。
種々のイベントで学生フリーランスとして講演。
これらすべての活動は『世界を良くしたい。』という目標のため。
『世界は繋がっている。』という経験からの行動。
アメリカで、『3.11』を経験し、男性やカフェ店員と出会ったことがきっかけとなり、今私はこうやってここにいます。
この経験を得る前は、言葉とはただの『形』だと思っていた。
物事を伝えるための道具でしかないと。
しかし、僕が男性やカフェ店員から受け取った言葉は違った。
何を言っているかはわからない。
『形』としての言葉は受け取ることが出来なかった。
私は言葉に乗った『想い』を受け取ったのだ。
言葉とは、ただ情報を伝えるためのものではなく、気持ちを伝えるためのものだったのだ。
『言葉=想い』
言葉を知るということは、相手の想いを知るということ。
日本から遠い異国の地で想いに触れた。
その気持ちに、国境はなかった。
人種の壁も、文化の違いも、宗教心さえも関係ない。
『言葉は国境を越える』
私は今、世界に想いを広げるために英語を学んでいます。
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駄文、乱文で読みづらい点も多い中、最後までお読みくださり誠にありがとうございます。
いつか皆様と共に英語を学べる日を楽しみにしております!
最後になりますが、このような素敵な企画を立ち上げてくださった畝川さんに厚く御礼申し上げます!
そして、Relay Essay No.3 を担当し、次の執筆者として私を選んでくださった Smith Henry さんにも感謝申し上げます。
そして、東日本大震災及びその関連事象によりお亡くなりになられた19,225名の方々のご冥福と、今なお苦しい状況のなか戦っておられる方々の1日も早い復興を強く願っております。