Essays No. 14
俳句の海を泳ぎます
by レモネード
最近のお気に入りの句集。レモン柄の表紙のノートに俳句の種を書き留めます。
西日本医学英語勉強会の皆さま、こんにちは。医薬翻訳者のレモネードと申します。今回エッセイを担当するにあたり、「何をお話しすればいいのか」とても悩みました。翻訳者としての経歴は長いのですが、そこは謎のまま(?)として、趣味の俳句について書きたいと思います。堅苦しくない、ゆるりとした内容ですので、ちょっとした息抜きにお読みいただければ幸いです。
さて、俳句を始めて二年が経ちました。同業者の先輩が俳句をされているのをツイッターで知り、面白そうだなと思ったのがきっかけです。最初は、日課の散歩中にスマホで撮った写真に句をつけるという日記を兼ねたフォト俳句のようなものでした。そんな最初の半年間くらいが一番楽しい時期であったように思います。いまは軽く地獄をみています。カレンダーに書き入れた投句の締切日に追われる毎日なのです。
昨今の俳句人気はみなさんもご存知のとおり。翻訳者さんで俳句をなさる方は多く、当会主宰者の畝川さんもそのお一人ですが、畝川さんらしく女性らしい瑞々しい感性で、たおやかな句をお作りになります。冒頭の先輩翻訳者Kさんは、発想が豊かで個性的な句を詠まれ、お人柄のにじみ出るような表現力をお持ちの方です。私は初学者ということもあって、「平明淡白な表現」で作句することを心がけておりますが、本当に薄味のあっさりとした句ばかりです。たぶん個性のかけらもないと思います。ですが先日、めったにないことなのですが、選者の方から「気負いのない句」と評をいただく機会があり、「ああ、この身の丈感も私の個性のひとつなのかな」と妙に納得しました。自分でも思いもよらない句に「この句のここがいいね」と感想を述べてくださる方がいると、自分らしさのかけらを見いだしてもらえたようで嬉しくなります。自分が思う「自分らしさ」もあれば、他人によって描かれる「自分らしさ」もある。何かと向き合うと新しい自分が引き出される。私の選んだ言葉が私を支えてくれる。俳句に希望を見いだし、楽しんでいる毎日です。
もちろん楽しいことばかりではなく、作句中はまさに頭を抱えて唸っています。古語や古典文法でつまずけば、その都度辞書や文法書にあたり、この情熱をもっと仕事に向けられないものかと我ながら思います。俳句は省略の文芸です。十七音しかありませんから、ムダな言葉を削って単純化し、本当に必要な(最適な)言葉を吟味し、読み手の負担が軽くなるよう、整理・推敲を行います。限界まで頭をしぼり、「これだ!」という表現にたどり着いた瞬間に、脳がパーンと喜ぶ感じです。これは翻訳も同じですね。
ただ決定的に違うところは、自分の作った句の解釈は読み手にゆだねること。俳句は未完の文芸とも言われ、作者は基本的に自句自解せず、読み手の読みがあって初めて句が完成するのです。読み手が自由に解釈できる幅があるのです。そこは、作句においても鑑賞においても、俳句の魅力の要素かと思います。放り出して開き直ってあとは相手にまかせる。口下手で多くを語るのが苦手という自分の性分に合っているようです。
仕事の合間には、部屋の中で句集を歩きながら読んでいます。五分でも声に出して五七五のリズムに乗ると、心身共に良いリフレッシュになります。仕事で請け負う分野の表現と俳句の表現が直接結びつくことは少ないですが、いつもどこかしら頭の片隅であらゆる表現の可能性を探っています。
今年から蒼海俳句会という俳句結社に入会しました。実は拙句に、「秋の風海の蒼さの戻りけり」という、NHK初心者向け俳句番組で入選し、放送で紹介された幸運な句がありまして、そんなところからも「蒼海」という言葉にご縁を感じています。結社入会には身の引き締まる思いもありますが、自分にしか言えない言葉があると信じて俳句の海を泳いでみようと思います。そして、これまでとは違う句を作れる、少しだけですがそんな予感もしています。
最後になりましたが、このリレー寄稿の声をかけてくださった畝川さん、バトンタッチしてくださったU.K.さんに心よりお礼申し上げます。自分の考えをまとめるとてもよいきっかけとなりました。また、二年前から某所で勉強会のお手伝いをさせていただくようになり、勉強会の運営の大変さを痛感しているところです。畝川さんには改めて敬意と感謝を申し上げ、今後ますますの会のご発展を願って、ときには微力ながら雑用係としても参加させていただければと思います。最後までお読みくださり、ありがとうございました。