Essays No. 11
翻訳、これまでとこれから、
あるいはsustainableな戦略
by 高橋 浩一
先日の香港旅行の一枚。また行けるように稼ぎます!
勉強会の皆様、はじめまして。高橋浩一と申します。
神戸市在住の広島県人です。
化学系研究職に長年従事した後、もともと好きだった英語を使った仕事をしたいと思い、2010年4月に会社を卒業後、半年ほど修行して、同年12月に翻訳会社4社に登録し、2011年3月より稼働開始、今年で7年目のフリーランス英日メディカル翻訳者です。
このたび、エッセイを書くにあたり、どんな内容にしようかといろいろと考えましたが、結局自分にしか書けないオリジナルなもの、つまり、翻訳の修業時代から、翻訳者として稼働を開始し現在に至るまでを、時系列に、その時々でのトピックをまじえながら、お話ししたいと思います。
1. これまでの歩み
前職:化学系研究職(18年間)
(実は、この前に1.8年間、外資系家庭用品メーカーにおりました)
【前職&翻訳学校通学以前】
前職の化学系研究職時代の最後の10年間は、新製品紹介&技術サービスなどで、いろんな国に出張しました。この時期に、技術資料の英訳などを通じて、もともと好きだった英語への興味が再び高まり、将来、英語を使った仕事をしたいと考えるようになりました。当初、考えたのは通訳者でインタースクールに3年間通学しました。しかし、上のクラスに上がるにつれてどうも耳の方がついていけなくなり、停滞しはじめ、産業翻訳者を目指す方向に方向転換しました。分野としては、研究職時代に特許も何件か出願していたことから特許分野も検討しましたが、クレームおよび明細書のあのヘンテコな日本語にどうしてもなじめなかったため、パスして、薬剤等で化学系のバックボーンを生かせそうな分野として、メディカルに的を絞りました。
【前職&翻訳学校通学時代】
在職中に大阪の翻訳学校(ILC国際語学センター)のメディカルコース(初級&上級)に1年間通学しました。初級コースは毎週土曜日でしたので問題なかったのですが、上級コースは毎週火曜日だったため、勤務先の研究所から定時で抜け出して学校まで会社帰りに通学していました。定時に抜け出してもどうしても15分は遅刻するという条件の中、我ながらよく頑張ったと思います。毎日多忙でしたので、特に上級コースの毎週の課題は締め切り日の毎週月曜日朝9時までに提出するために、徹夜もよくやりました。(たまに、風邪を引いたことにして有給をとって課題提出のために徹夜しましたです。はい(笑))。クラス修了後の2年間は、半年ごとに学校が提携している翻訳会社のトライアルを受けることができました。この制度を利用して、コース修了直後に5社ほど受けたのですが玉砕。「なかなか難しいのう」と当時は思ったものです。
【その後~会社卒業~初仕事まで】
その後、仕事多忙のなか、翻訳の勉強から一時期、遠ざかってました。思い返せば、会社員時代の最終盤戦は、プロジェクト関連で多忙を極め、ほぼ毎晩23時くらいまで研究所にいたように思います。当時の直属の上司は、飲み仲間でもありました(今でも飲み仲間です)ので、23時頃退社して、それからサシで3時くらいまでワタミなんぞで飲みながら、そのまま上司の家に泊まり翌朝そのまま出勤というのもよくやりました。朝まで徹夜で実験というのもありました。今から考えれば、かなりバサラな期間を過ごしました。実は、この上司には「近いうちに会社を脱出して、翻訳者になる」ことを内々に伝えておりました。そうして半年ほど経ったときに、当時携わっていたプロジェクトの中止が決定し、これに伴い、飲み仲間直属上司も転勤することが決まりました。それで、「ここが潮時じゃっ!」と思い、思い切って2010年4月に会社を卒業し、多忙のために遠ざかっていた翻訳者になる夢に向けて、ラストチャンスの回のトライアルを受けて合格するという目標をたて、それまで半年ほど自宅で1日8時間、技術的な背景知識を浅く広く勉強し直し、医薬関連に独特の英日の言い回し、訳出のし方などを復習し直しました。その甲斐あってか、2010年10月のトライアル受験の結果、首尾良く4社に合格・登録しました。とはいえ、すぐに仕事にありつけたわけではなく、翻訳に特化した職業訓練コース(当時、翻訳に特化した職業訓練コースは全国で神戸にのみ設けられていました。今はどうなのかわかりません)を3カ月受講して、失業給付金支給期間を3カ月間延長させるという裏技も使って軍資金がショートしないようにしのぎました。そして、2011年3月下旬に記念すべき初仕事にありつきました。しかし、その後も、間欠的に受注はしましたが、継続して受注できた訳でもありませんでした。この期間、仕事のない時期は、ひたすら対訳作成に取り組みました。方法は、これまでに学習してきた教材をひたすら、対訳化するというものでした。森口理恵先生の著書「医薬の英語(絶版);現在は、「医薬翻訳者のための英語」として発売されています」なども全ページ対訳化しました(この時期にひたすら対訳化しまくったものが、現在の翻訳作業に大変役立っています)。そのうち、だんだんと懐具合が寂しくなってきて、「こりゃちょっとやばいかも」と思い、固定費を下げるために家賃の低い物件(ただし、2Kは少なくとも確保)を探して、当時住んでいた西宮から西方向の神戸に2014年10月に引っ越しました。引っ越しにこの時期&場所を選んだのには理由があって、運勢的にこの時期に現住所から西側への引っ越しは商売繁盛・金運上昇etc.によい時期だったようだからです。いわゆるゲンを担ぎました。また、神戸は私にとっては学生時代に過ごした第二の故郷でもありました。
神戸への引っ越し以降、継続的に受注できるようになりました。引っ越しの御利益はあったようです。
【神戸へ引っ越し~1回目の単価アップ交渉まで】
その後、仕事は途切れることなく受注できるようになりましたが、受注量全体の70%程度が私の登録単価の最も低い国内翻訳会社からのものでした。この時期、米国系翻訳会社からの仕事も増えつつありました。こちらの単価は、登録会社中最高単価でした。年が明けて2015年3月に突如、全受注量の70%程度を占めるこの国内翻訳会社から、これまでの400字原稿1枚あたり単価から、ワードあたりの単価に移行する旨の通知がありました。ここまでならよかったのですが、しかも、単価を一律、ツール案件単価(わたしの経験上の試算では、ツール案件の単価は、それ以外の通常の案件に比べて10~15%低かったです)に合わせるというものでした。「これは、実質的には10%程度の単価ダウンじゃん、あかんわ」と思い、この機会に逆に、単価アップ交渉を行うことを決断しました。(おそらく、この会社について、思い当たるフシのある方は多いのではないでしょうか。そうです、あの会社です。今年の初め頃の公式発表でもえらい儲かっておりました(笑))。単価アップ交渉の作戦としては、私の登録している最高単価の米国系翻訳会社(A社)の単価およびこれと同水準単価の他の登録会社(B社、C社)に登録している旨および現在の各会社からの受注比率(ここについては、上述の内容と反しますが、国内取引メインの翻訳会社:50%、A社:40%、B社およびC社:各5%)を先方に示し、「御社のご提案どおりの単価をのめば、A社単価よりも2円/ワード以上低くなり、『仮に同時期に、御社とA社から同じ難易度、同じ納期の案件の打診があった場合、A社を優先せざるを得ないようなことが今後出てくるのではないかと思っています。つきましては、できれば〇〇円/ワード、少なくとも◎◎円/ワードへの単価アップをご検討いただけないでしょうか』」と交渉を持ちかけました。結局、この「少なくとも◎◎円/ワード」までの単価アップを勝ち取りました。とは言っても、最高単価の米国系翻訳会社(A社)よりもまだ10%以上低かったです。この時点で、2年後に再度単価アップ交渉をすべく、その時の交渉に有利な材料になるようにひたすら、高品質のものを納品するように日々留意して業務に励みました。
【1回目の単価アップ(2015年3月)~2回目の単価アップ交渉(2017年3月)~現在まで】
その後、2016年秋頃から、最高単価の米国系翻訳会社(A社)と単価アップ後の国内メイン取引会社からの受注について、打診が同時期に重複することが頻繁になりました。「今後、翻訳でやっていけそうだな」と本当に確信したのはこの時期です。こちらとしては、単価の高いA社からたくさん受注したいわけですが、国内取引メイン翻訳会社の方が手数が多く、A社の美味しい案件をお断りすることが多くなってきました。この時点で両者の単価の差はまだ1.2円/ワードくらいあり、国内取引メイン翻訳会社から受注し、A社からの打診をお断りする度に、「-1.2円/ワード」の機会損失が生まれることになり、非常なるジレンマに陥りました。そんなおり、2016年11月下旬に、年1回東京で開催される翻訳祭に初めて参加しました。その前夜祭の懇親会で「スティーブ・ジョブス」の自伝を翻訳されたあの井口さんと席が隣同士になり、ここぞとばかりにいろんなことを質問責めにしました。その時に、印象深い言葉を頂きました。それは、「単価について巷間のいわゆる平均単価にこだわってはだめだ。もっと高めを狙って交渉していくべきだ。私だって駆け出しの時は赤点(と、独特の言い回しでお話しされました;この「赤点」は、安安単価のことをさしており、具体的に私の駆け出し時の単価と同じ金額でした)からスタートしたんだから。」というものでした。この言葉に背中を押され、来たるべき第2回目の単価アップ目標額を決めました。それは、最高単価のA社単価よりもさらに0.5円/ワード高い金額でした。この金額で”ふっかけて”国内取引メインの翻訳会社との第2回目の単価アップ交渉を2017年3月に予定どおり行いました。その際の交渉方法は第1回目と基本的に同じですが、「先日、おかげさまでA社から0.5円/ワードの単価アップをして頂きまして。。。」ということにして、行いました。
その結果、最高単価のA社とほぼ同金額までの単価(A社単価の98.3%に相当)アップに成功しました。しかし、まだまだ、これに満足せず、2年後、さらに1円程度のアップを目指して日々精進していきたいと考えています。
現在は、朝、目が覚めると、本日の翻訳スケジュールを「どうすれば最も効率的に進められるかをたてて」起床すると、朝のルーチンの50分間の散歩後、朝食をとり、夕方まで1時間に5分くらい休憩をとりながら、ほぼノンストップに作業しています。1日の作業時間は7~8時間。できるだけ大きな案件を受け、納品日には、ご褒美のために自宅から一駅歩いて神戸三宮の行きつけのお店での「昼飲み」がお約束ごとになっています。
以上が、翻訳修業時代から翻訳7年目の現在までの私の軌跡です。
この期間、毎日翻訳をやっているわけですから、当然翻訳の技術は上がってきたはずで、むしろどうやったらもっと効率的に、精神的・身体的に負担をかけることなく持続的に翻訳作業をやっていけるかという「仕組み」に興味の対象が移ってきました。特に2016年秋頃からです。
そこで、これまでの経験から私なりに「行動したこと」、設定した「決めごと」について、翻訳&報酬(小判)の観点から、説明したいと思います。
【固定費の削減】
国民健康保険がばか高いので、2017年2月に大阪文化芸能国民健康保険(この健康保険では、翻訳を生業とする個人事業主は、「文化芸能人」に分類されます)に加入しました(「大阪」の名を冠した健康保険ですが、全国の指定都市に在住の自営の翻訳者が加入対象です。)これにより、年間10万円程度の支出を削減できました。この健康保健のことはかなり前から知っていたのですが、紹介者が必要とのことでしたので躊躇していました。しかし、同業の翻訳者から「紹介者がいなくても大丈夫になったらしい」との情報を得て、即トライし加入しました。
【翻訳関連】
前述のように、現在、私は主に国内取引メイン翻訳会社1社と米国翻訳会社(私が登録している最高単価の会社)1社から受注しています(現在の登録会社数は7社で、5社が国内、1社が米国系、1社が英国系翻訳会社です)。国内取引メイン翻訳会社については、今年3月に2度目の単価アップ交渉を行った結果、登録時から25%ほどアップして米国翻訳会社とほぼ同じ単価になりました。
現在では、案件を打診された際に自分で決定権を持って仕事を引き受けるかどうかを判断するように心がけています。結果的に単価を下げてしまうことになる案件は原則回避しています。
【受注選択基準】
提案された案件を受けるかどうかを決定するために、これまでの経験から、次のような「選択基準」を自分なりに設定しています。
1)100枚以上(15000ワード以上)の案件であること
2)100枚以下の案件は、理由をつけて極力受けないようにしています。大きなボリュームの案件をとぎらせないようにするという流れを作るように心がけています。そのためには、小案件をちょくちょく受けないようにしています。小案件でも大案件でも、調査には一定の時間・労力がかかりますし、そうであれば、大案件のみを受けて、この「一定の労力」がかかる機会を減らすように心がけています。これによって、「納期に追われる日常」を回避するようにしています(週に何回も納期があると、作業スケジュールを自由裁量で立てることも難しくなりますし、なによりも常に納期に追っかけられてるようで精神安定上、良くないです。)
他の受注選択基準としては、以下のようなものを設定しています。
・原稿がコピペ不可のpdfファイルの場合は極力回避するようにしています(OCR化→ワード化→文字化け見直しという前処理で余分な時間がかかり、結果的に時間単価が下がってしまうためです)。
それでも受注する場合には、pdf原稿をこちらでワードファイル化後のワード数について、先方から提示された数字が異なる場合があるので注意しています。極端に異なっている場合には、コーディネータに連絡するようにしています。提示されたワード数がこちらが把握したワード数よりも多い場合は、もちろん黙っておきますが(笑)。でも逆の場合は、「ただ働き」になるので死活問題です。過去に一度、コーディネータから提示された量よりも実際のワード数が3000ワード程度多かったことに納期間際まで気付かずに、エライ目にあったことがあります。気付いた時点でコーディネータに連絡・交渉して納期を1日延ばしてもらいましたが......それでもきつかったです。)
・余分な手順を要求する案件は極力理由をつけてパスしています(手順が一つ増えると、その二乗で所要時間が増える(以前に何かの本で読みました)と考えています。これにより実質的に単価が下がるし、これに伴い、ミスを犯すリスクも上昇しますので、このような潜在的地雷を回避するように心がけています)。
・ワード上書き案件を優先させています。ツール指定案件はできるだけ避けています。
理由は、ツール指定案件では、繰り返し箇所は解析の結果、カウントされなくなるため、受け取る翻訳料が少なくなるためです。せこい話ですが、ボリュームが大きければ、報酬額がかなり違ってきます。
・難易度の低い「とっつきやすい案件」を優先的に受注するようにしています(単価が同じなら、難易度の低いものを選択。試験と似ていますね。「簡単なものから解答する!」です)
以下は私が考える「とっつきやすい案件」です(とっつきやすい順に)。
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ICF案件(案件によります。本当に単純なことのみの説明であればOK。しかし、技術的情報や法律っぽい内容が入ってくると難易度は上がるので、原文を読んで、受注するかどうかよく吟味します)
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症例報告書
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添付文書および欧州製品概要
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医療機器関連(個人的に好きな分野です。特にカテーテルは「医龍3」で出てきた「カテーテルインターベンション」をみてから好きになりました(当時は知識不足で、到底あんなことができるとは思ってもみませんでしたが。。)
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治験実施計画書
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治験薬概要書(臨床パート)
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治験総括報告書(臨床パート)
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治験薬概要書(非臨床パート)
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治験総括報告書(非臨床パート)
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GMP、CMC関連
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FDAなどの規制当局とのやりとり、レターなどの案件(案件特有の場合が多いので、過去の対訳が使えないことが多いように思います)
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レビュー文献以外の文献(文献は概して調査に時間がかかるので実質的に単価が下がると考えています。また原稿がpdfで、ワードファイル化までの余分な作業が必要なので、最近では極力回避するようにしています)
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レビュー文献(個々の文献の寄せ集めなので、1件の文献であれば、要約、実験方法、結果で重複する箇所があり、お得ですが、これがないため、他の文献と比べてかなりの負荷がかかると考えています)。
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文献のアブストラクト集(文献のフルペーパーなら、実験方法、結果、考察の箇所については流用できそうな箇所が多く、美味しい案件のように思いますが、アブストラクト集では、流用できそうな箇所がなく、かなりのパワープレイ案件と考えています)
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特殊な改訂版案件(前版和訳ファイルに、改訂後の和訳をコピペするという作業内容指定案件など:余分な手順が増え、結果的に時間単価が下がると考えています。また、ミスするリスクも上昇します。)
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学会発表内容等のまとめ(第3者によりまとめられた文章。発表者本人がまとめているわけではないので、省略されている箇所があったり、わかりにくい表現等あり、技術的に正確な内容であるかどうかの裏付け作業でかなり時間がかかります)。テープ起こしによる座談会関連の案件(省略表現があったり、各人のしゃべっている用語がまちまちであったり、話されている内容を考慮して推測する必要があったり、裏付け作業でかなり時間がかかります)。
【治験関連案件で心がけていること】
以下は、治験関連案件で心がけていること、コーディネータにお願いすることです。
・いずれの案件でも、初版でなければ参考資料として前版を要求します。(余談ですが、IB第2版の案件打診があり、初版の英日を参考資料として要求していましたが、この箇所を執筆している最中に、コーディネータから初版IBの英日の提供不可とのメールを頂きました。23000ワードを超える案件でしたが、本来参考資料として入手できれば、こちらとしても背景情報として前版の日本語を一読し、また対訳を作成してこれを参照しつつ翻訳し、確度の高い成果物を納品できるはずであろうところが、その可能性が低くなったというこの時点で、本件は残念ながらお断りすることにしました。翻訳会社にとっても確度の高い成果物を手にすることができクライアントに提供できるはずであった機会を損失したことを意味します。この辺はおそらく、コーディネータ各人がどれだけクライアントに対して、説得力をもって辛抱強く交渉できるか、tough negotiatorの資質の程度によるのではないかと思います)。
・治験の性格上、存在する関連文書の早い順としては、IB、プロトコール、インフォームドコンセント、CSR、CTD、添付文書および欧州製品概要だと思います。
このことを踏まえて、以下の参考資料を要求します。
・プロトコール案件であれば、参考資料としてIBを要求します。
・インフォームドコンセント案件であれば、参考資料としてIB、プロトコールを要求します。
・CSR(治験総括報告書)案件であれば、参考資料としてIB、プロトコールを要求します。
・CTD案件であれば、参考資料としてプロトコール、CSRを要求します。
・添付文書および欧州製品概要案件であれば、参考資料としてインタビューフォーム、CSR、CTDを要求します。
【翻訳作業前に】
・入手した参考資料を必ず対訳化します。翻訳ツール使用指定案件でも対訳化します。これは、ツールに設定されたメモリーでも、単語レベルではヒットしないことが多いからです。逆に、こちらが作成した対訳で見つけた流用可能箇所は、ツール案件の結果ではワード数にカウントされているため、こちらとしては、ほぼFree Lunch!ラッキー!です。
最後に、これから考えていることをお話しして終えたいと思います。
【これからの方向性】
・長期的にみて:
個人的には、あと20年は翻訳を生業にしていこうと考えています。そのためには、無理せずに持続して翻訳できるように環境をさらに整えたいと思っています。ポイントは時間だと考えていて、長い目で見て、20年間で1日の翻訳作業時間を今よりも抑えながら、それでも収入を落とさない(もちろん品質も担保して)仕組みを今後も模索していきます。だけど、これに対する答えは大体は出ていて、ここまででお話ししましたように「単価アップ」に尽きると思ってます。
単価アップ⇒収入を担保しつつ、1日あたりの翻訳作業時間を抑える⇒浮いた時間を翻訳の勉強に充てて今後の業務に活用する、あるいは、日々の翻訳作業で翻訳物を更に精査する時間に充てる⇒結果として更に高品質の訳文を納品でき、翻訳会社からの評価も上がる⇒次回の単価アップ交渉時の有利な交渉材料となる。
こんな感じのよいスパイラルを生じさせ、究極は「今よりも少ない作業時間で、今よりもたくさん稼ぐ。そして余裕のできた時間で、好きなことをたくさんする」これを目指していきたいです。
短期的にみて:
・直接取引できる会社を発掘していきたいと考えています。実現すれば、時間に余裕ができて精神的にも今より余裕ができて、よりストレスのない毎日を過ごせそうです。
・2年後のIJET(海外のどこかの国、順番としてはそろそろオーストラリアではないかと踏んでいます。私のなかでは、オーストラリアは行ってみたい国の上位です。経費でいける機会を狙っています)に参加。そのために、英会話力をブラッシュアップ(ちょっと翻訳とは違いますが、もしかしたら、海外の翻訳会社とのパイプができるかもしれません。)
・セミナーや翻訳、語学関連のイベントにたくさん参加して語学関係の人達と出会うこと→将来的に、ビジネスにつながるかもしれません(直接取引先開拓の可能性など)
・2年後のさらなる単価アップ交渉に向けて、日々精進します。
以上、自分でもこれまでのことを振り返る意味で、いろいろと書いてきました。後半は「小判」に関する内容が多くなりましたが、これは大事なことなので少し力が入りました。
このエッセイに取りかかる3日前、7年振りに海外を旅してきました。香港です。めちゃくちゃリフレッシュできました。これまでは、時間があれば「打診された案件」を詰め込む日常でしたが、これからは、日常に余裕をもたせ、最初に楽しいことをするために時間をとっておいて(スケジューリングし)、これをニンジンにして翻訳に取り組んでいくようにしたいと思っています。
これからの方向性の箇所で、「あと20年、翻訳を生業にしたあとのこと」についてですが、説明するととてつもなく長くなりそうなのでやめておきます。興味がおありの方は、いつか雑談か何かでお話ししましょう。